カテゴリー:ハワイ日系移民150年記念

ハワイ不動産/ハワイ日系移民150周年を祝うスピーチから  4


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ハワイ大学の元総長のフジオ松田博士のハワイ日系移民史150周年を祝うスピーチからの続きです。

其の頃のPohukaina Elementaryの先生達はハワイ人か白人で、親切で辛抱強い方達でした。私達日系二世のほとんどにとって、英語は学校で学ぶ第二外国語の様な物でした。

ピジョンを話す人は英語を学んだ後でも、アクセントやイントネーションや動作などで、ハワイ出身であることが簡単に分かります。

ピジョンは最近、言語学上正当な言語として認められ、私達はみなバイリンガルです。ピジョンが移民の子達を1つにする糊の様な役割をしてくれたのです。

ピジョンが異文化の壁を取り、民主的な影響を与えてくれました。そのお陰で、民族の多様性に慣れ親しむ事が出来、基本的な価値観を共有している事発見する事が出来ました。

私達は良い教育を受ける事が出来ました。その上にハワイの歌Ekoklu iole makapo Imi au la oe, Ke kali nei auなど兄弟や姉妹がデユットで歌う事もありました。意味は分からなくとも、私はハワイの歌が好きでした。

今ハワイ語を勉強していますが、その複雑で洗練された言語に驚かされています。ハワイ語は一時、アメリカの宣教師の子孫から禁止されたことがあります。

私はある有名なハワイアンソングを歌う家族が英語しか知らないため、菓子の意味を知らずに歌っていた事を知りビックリしました。

ハワイ語はほとんど絶滅に近い状態だったのです。幸運な事に、ハワイの言葉と文化はハワイ人だけでなく、我々皆に復活を楽しまれています。

Hawaii Pacific Press より、

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ハワイ不動産/ハワイ日系移民史150周年を祝うスピーチから 3


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ハワイ大学の元総長のフジオ松田博士のハワイ日系移民史150周年を祝うスピーチからの続きです。

官約移民こそがハワイのAJAと言われる、日本祖先をもつアメリカ人なのです。元年者と違い、官約移民のほとんどはハワイを自分達の国として移住して来ました。

多くは砂糖キビ畑で退職するまで働き、あるいは死ぬまで働きました。一部は3年契約を終えた後、プランテーションから出て、他で雇われたり、自分で仕事を始めました。

カカアコはハワイ人と移民の家族で出来た、多民族の集落でした。私はカカアコの日系人の住む所で生まれ育ちました。私の最初の言語は家で話す日本語でした。

そこは家から2,3ブロックの所で、必要な物は何でも揃う、孤立した地域でした。私がPohukaina Elementaryに入学した時、クラスメートのほとんどは日本人でした。あとは中国人、ハワイの現地人、ポルトガル人、フィリッピンンの子供が少しいました。

多少英語が話せる子供はいましたが、殆どは英語とハワイ語と他の国の単語が混ざったピジョンイングリッシュ を話していました。ピジョンは複雑で、文法も怪しく、奇妙な単語から出来ているので、他の人が理解するのは不可能でした。

それは貧しいものや、移民と現地のハワイ人のコミュニティーのみに通じる秘密の暗号の様な物で、私達は使うのが楽しかったのを覚えています。

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ハワイ不動産/ハワイ日系移民史150周年を祝うスピーチから 2


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在ホノルル日本国総領事公邸で行われた、ハワイ大学総長のフジオ松田博士のスピーチからの続きです。

天皇と皇后から大歓迎を受けたカラカウア大王ですが、

滞在中にハワイのサトウキビ畑に日本人の労働力が必要であることを天皇に訴えました。

カラカウア大王は日本人がハワイを永住の国として移住し、ハワイ王国を繁栄してくれる事を熱望している旨訴えました。その時ハワイは、西洋からハワイに持ち込まれた新しい病気に感染し、免疫力も抵抗力も無いハワイ人が沢山亡くなり、人口が急減少し、国の滅亡危機に脅かされていました。

カラカウア大王はハワイ人と日本人は先祖がどこかで繋がっていて、同じ価値観を共有するベストパートナーと考えていたのでした。

天皇はカラカウア大王の案に賛同し、移民を送る約束をしました。両国は条約にサインをし、これがハワイ政府と明治政府が結んだ「官約移民」で、1885年には950人の日本人がハワイに到着しました。その数字は18万人まで膨れ上がりましたが、1924年にアメリカがアジア移民に対する法律を設定し、日本人労働者の入国が禁止されました。

カラカウア大王が1881年に書いた日記があります。「さようなら日本、美しい日本。この親切でもてなしの心の国民性を持つ素晴らしい国を長く忘れないであろう。アロハ」

続く。

Pacific Pressより。

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ハワイ不動産/ハワイ日系移民史150周年を祝うスピーチから 1


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今日はたまたまPacific Pressを読んでいたら、元ハワイ大学総長のフジオ松田博士がハワイ日系移民志50周年を記念して、ホノルル領事公邸で行ったスピーチの内容がとても興味深く、とても素晴らしいお話しだったので、ここで何回かに分けてご紹介したいと思います。

元年者の後何が起こったかと言う話の中には二人の重要人物がいます。それはハワイのカラカウア国王と日本の明治天皇です。

話は元年者がハワイに到着して13年経った1881年、カラカウア国王が明治天皇に会いに行った旅行から始まります。

それは大王がOCEANICという船にのり、世界各国を回る途中の一地点でした。早朝8時に横浜港に到着し、彼は日本国は自分達の来訪を知らないと思っていました。

カラカウア大王の船が王旗をマストに挙げた瞬間、港に停泊していたロシア、フランス、イギリス、日本の海軍戦艦が21大砲を放ち、彼の船を歓迎しました。

そして天皇から指示された歓迎委員が、OCEANICに搭乗し、天皇からの丁寧な歓迎の挨拶と滞在中のお世話をするという招待を受けます。

軍の音楽隊が港で国歌の”Hawaii Ponoi”の演奏を始め、カラカウア大王は強い感動を受けました。その歌は大王が作詞をし、Henrich”Henry” Bergerが作曲した物でした。

国王と彼の側近は東京の皇居にエスコートされて、そこで天皇と皇后に歓待されました。滞在中は天皇の大切なゲストとして、丁重なおもてなしを受けました。

次回に続きます。

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